埼玉県幸手市役所最初のページへサイト内検索サイトマップ文字の拡大問合せ
幸手市へようこそ
市民便利帳観光情報施設案内各課案内市の概要アクセスリスト
ホーム各課案内社会教育課>守り伝えよう!みんなの文化財
守り伝えよう!みんなの文化財

幸手音頭と権現堂堤の歴史

 昭和26年(1951年)生まれの幸手音頭は、今年で還暦を迎えます。
 その一番にある「♪ハァ〜エ昔しゃお江戸を守った土堤も 今じゃ桜のネ〜 アレサの桜の花の山 ソレ」という歌詞は、みなさんにもお馴染みですね。

 「土堤」とは、権現堂堤のことです。また「お江戸を守った」とは、かつての大河・権現堂川の洪水から、遠く江戸までも守る堤という意味です。
 その昔、権現堂川は関東随一の河川・利根川の一派として豊かに水をたたえ、水運にも利用されました。とはいえ、利根川の水を直接受ける流路ゆえ、大水になると堅固な堤でさえ決壊することもあり、あふれ出した濁流は、将軍のお膝元の江戸(御府内)まで押し寄せ、幾度も被害を与えたのです。
 このため権現堂堤に対する江戸幕府の治水政策上の位置づけは高く、手厚く管理され、「江戸を守る」堤を守る水防活動に、命がけで尽くす幸手の住民の自負心も高かったのです。
 そもそも、権現堂堤は、今から435年前の戦国時代、天正4年(1576年)に築かれたとする記録があります(天正2年とする記録もあります)。以降、治水の安定を得た幸手では、耕地が開発され、人が住み、村が生まれます。つまり、権現堂堤は、大水の被害から人々の生命と財産を守り、安全な地域を築いた立役者でした。
 時の流れの中で、その役割は変化し、今は「桜の山」となった権現堂堤をたたえた幸手音頭は、堤の歴史を物語るかたりべとなっているのです。


問合せ  社会教育課  電話(43)1111内線643・FAX(42)5803
Copyright(C) City Satte all rights reserved. 禁無断転載